1. トップ
  2. コラム
  3. 八幡本通り、昭和20年8月6日。

八幡本通り、昭和20年8月6日。

八幡本通りの「てらかわ手芸店」の角です。この角を東にまっすぐ行くと明奬橋です。
昭和20年8月6日。八幡小学校の児童は勤労奉仕のために二手に分かれ、保井田と高井の現場に向かっていました。8時15分。突然の閃光と巨大な爆音。そうです、原爆が投下されたのです。高井に向かった児童を引率した先生たちはしばらく協議したのちに、子供たちをそのまま帰宅させることにしました。その帰途、放射能を含んだ悪魔のように黒い雨が子供たちに降りかかったのです。
多くの子供たちは明奬橋を渡り、中にはじゃぶじゃぶと川の中を歩いた子供もいたそうです。たまたま直前の梅雨の雨で、すぐ下流の池田橋は流されていました。そしてこの角のあたりまで、多くの子供が一緒でしたが、ここでちりじりになって自宅へと急いだのです。

更新日:2016.06.28