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三戦役記念碑

「三戦役記念碑」は八幡(やはた)神社から200mほど北に行った川沿いの県道の脇にある。この碑の裏には旧八幡村出身の戦没兵士の方々の御名前が刻まれている。
 ところで三戦役とは、どの戦いを指しているのかということについて、地元でも多くの方々が誤解している。普通、三戦役と言えば、明治から大正にかけて日本が参加した日清・日露・第一次大戦と思うだろうが、第一次大戦がはじまるのは大正3年、終わるのは大正7年である。ところがこの碑には大正2年8月建之と記されており,この碑が建てられた時には、第一次世界大戦は、まだ始まっていないことがわかる。
それでは三戦役とはという疑問をもって、風化花崗岩でできたこの碑の裏のほとんど消えそうな記録を丹念に読み込んでいくと、碑文上部には日清戦争(碑文では日清戦役=明治28年)の戦没者、右側に日露戦争(碑文では日露戦役=明治38年)の戦没者、そして左側に北清事変(明治33年)の戦没者名が刻まれていることがなんとか読み取れる。
 北清事変は、植民地化されていた中国(清)でとくにヨーロッパを中心とする外国を追い出して、真の独立を回復しようという勢力が反乱を起こし、ヨーロッパ勢力の連合軍に鎮圧された事件で、一般に義和団事件とか、義和団の乱とも呼ばれている。日本は連合国の一国としてこの戦いに参加しているのだ。
 戦後のルース台風の時にはこの碑のあたりの護岸がきれ、八幡の八幡川以西はほぼ全域が水につかった。この台風では河内でも甚大な被害があり、河内で倒壊した家屋の木材や家畜までもが八幡まで流されたという。
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更新日:2016.10.19