佐伯区八幡の「八幡(やはた)神社」の屋根の写真です。
よ~く見てください。金箔の鬼瓦紋は、右三つ巴(ぎみみつどもえ)の紋章(右に向かって細くなる三つ巴の紋)が入っています。ところが、その目の前にある下棟(くだりむね)の端の軒丸瓦(のきまるがわら)の紋章は反対の左三つ巴(ひだりみつどもえ)になっています。さてどちらが正しいのでしょうか。
実はこの神社の紋章は、金箔瓦の方、すなわち右三つ巴紋が正しいのです。一般的には全国あちこちにある八幡(はちまん)神社で左三つ巴紋が使われており、瓦としても量産されています。これは八幡(はちまん)神社の祭神「誉田別命(ほんだわけのみこと=品陀和気神)」の紋と言われ、応神天皇を指していると言われています。のちに源氏の守り神となります。
ところが八幡(やはた)神社に合祀された旧八幡(やはた)神社(八幡東にあった)はその母親にあたる「息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと」が船をつけたところに神社を置いたとの伝説があるのです。この「息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと」こそ、有名な神功皇后です。そして、その夫が仲哀天皇(=帯中津彦神・たらしなかつひこのみこと)で有名な神楽「塵倫(人倫)」にその名が登場します。
右三つ巴の神紋はこの帯中津彦神に縁のある神社でわずかに使われているようで、八幡(やはた)神社もその一つということになります。瓦は特注をしなければありませんので、こんなことになったんでしょうね。