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八幡本通りと八幡神社の石燈籠1(高井の石燈籠)

 八幡本通り商店街から東に行くと、八幡川のほとりに、八幡(やはた)神社がある。
 もともと、この地は、旧寺地地区の氏神「稲生神社」の境内地で、明治末期の一村一社令に従って、大正の初めに、当時の八幡村内の神社を統合(合祀)し、大正神社とした。その際、神功皇后の船が着いたという縁起を持つ旧八幡(やはた)神社(その境内地は八幡東の鈴峯山麓に現存)は、地域の愛着により合祀が遅れ、最終合祀は、昭和3年。由緒ある神社の名を消すことのないように合祀した神社の名を大正神社から八幡(やはた)神社へと変更した。今年最終合祀から88年目となる。
 したがって、この社(やしろ)には、合祀された多くの神社にかかわるものも残されている。
 写真は、神社南側の参道を入ったところにある自然石の立派な石燈籠1対である。その西側のものには文久元年と彫られており、寄進されたのは今から155年前の1861年、坂本龍馬の時代ということになる。また東側のものには、幕末の騒乱も押し詰まった6年後の慶應3年(1867年)と記されている。この地域でも古い石燈籠の一つだ。これらの石燈籠はもともとは高井氏子中によって高井地区にあった稲荷神社に寄進されたもので、大正3年ごろここに運ばれてきた。
 境内にはさらに古い、文化5年(1808年)銘の燈籠もあるが、これはその様子から、いくつかの燈籠から部分部分を集めて建て直されたものと考えられる。したがってその燈籠のパーツのうち、文化年間のものは一部しかないと考えられ、また、形状も新しい。

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更新日:2016.08.29